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Concept: 
Integrace「知と志の融合」

INTEGRACE:インテグレースとは、grace (品格、美点、思いやり、長所)とintelligence(知性、知恵、思考力、情報)を、integrate (統合、融合、調和、差別の廃止)すると言う意味です。
文明が異質な文化の融合から生まれたように、人、組織、まち、国それぞれの異なるgraceを引き出し、integrate,させることができれば、新たな文化、社会デザイン、イノベーションが生まれ、周囲に、世界に調和、平和が訪れると願い、当非営利団体をINTEGRACEとネーミングしました。全ての活動コンセプトとしています。

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Story & Mind

日本衰退を何とかしたい

米国ポートランドでの大学時代のリサーチで1番印象に残っているのは、ハーバード大学教授だったジョゼフ・ナイ氏の「日本の衰退」です。知識層の絶対数の少なさ、天然資源の乏しさ、人口減少、労働力の減少、宗教や市民社会などつながりの弱さが主な理由でした。日本でポールケネディ氏の大国の興亡(米国衰退論)がベストセラーとなった頃の論文です。エネルギーとなる資源と食糧、高齢化による将来の労働力不足が日本のアキレス腱と言うのは国内でも定説でしたのでなるほどでしたが、気になったのは、知識層の絶対数でした。
先ず大学のIT環境の差と学生の勉強姿勢、ものの見方、考え方を含めた多様性とサービス精神には驚きでした。日本でPCが一部の企業にしか完備されていなかった頃、大学にアップルコンピュータ(大きな昔のPC)が整備されており、まさに米国がスーパー301を出してまで日本を抑え、IT政策を国策として舵を切り始めた頃です。その結果が現在のグローバル化、DX化であり、GAFAの誕生となるとはこの頃は思いもしませんでした。まさに時代はソフトパワー、パラダイムシフトの時でした。学食では18歳の女子大生がガールズトークのトーンで大統領選や温暖化について語り合い、将来の夢は大きく大統領や科学者になると言っていた女子大生も1人2人ではありません。週末にダウンタウンに行くようにボランティア活動するなど社会貢献意識も高い。ゲイやレズであることを公言する学生もいれば、数年世界を旅したり学費のために働いてから復学した学生、徴兵制でいなくなるスエーデン人のクラスメイト、射撃などの戦闘訓練を受けたと言うスイス人女子大生、ステップマザーとも仲良しな友人は(私が高校の頃に美術学校に通っていたほどアート好きな話をしていたので)ナショナルギャラリーに行きたいと言うと、じゃあDCのステップマザーの家に泊まれば良いわよと、何と彼女のステイなしで私だけ友人のステップマザー宅に泊まる調整をしてくれるほど。日本では離婚した父親の奥さんの家に友人をステイさせてもらうことなど思いつかないでしょう。

日本の第二の資源は文化・歴史と緑・水

後に仕事でヨーロッパの美術館、特に期待していたパリ中の美術館に行ってわかったのですが、アメリカは戦勝国だけあって世界のアートの1番のメッカ。ナショナルギャラリーやボストンファイン、メトロポリタン等、大美術館にあるのは印象派やシュールなどヨーロッパにありそうな世界的な画家の人気アートはもちろん、浮世絵や日本画、薩摩焼等が必ずあり、何となく感じていた日本文化の真の価値に気付かされました。和食やティーセレモニーについてもその哲学まで訊かれる度、日舞の名取だった母や呉服屋を営んでいた祖母のルーツが名古屋城の御殿医だったのに教養の機会を無駄にしていた自分に気付き、これは母と祖母に文化を学びなおさないとと思いました。当時の私は後のシラク大統領と某首相の縄文土器話のように残念な会話をしていたと思います。どこに行っても和食、お茶、着物、皇室の歴史があることはレスペクトされ誇らしく感じ、いつかもっと勉強して伝えたいと思いました。また、サウジアラビアやクエート、アリゾナ州出身の友人と話すとポートランドは緑が豊かで素晴らしいと言うので、国土に緑がない土地などない日本が、世界では意外と珍しい方だとわかったことも発見でした。森林があるのは地球上でたった1割で、その中に日本はあるのです。豊かな緑と水がなかったら和食も和紙も、茶道も着物も、恐らく天皇家も、今の日本らしい文化、伝統は生まれていなかったことでしょう。
特に湾岸戦争以来、日本にPR省があったらと思っていた私は帰国後、総合広告代理店のクリエイティブにコピーライター・プランナーとして入社し、国内・海外の企業や自治体、商品のマーケティング、プロモーション全般に従事。当時は18時から21時まで仕事を中抜けし、環境団体活動や茶道、華道、陶芸の心を学び、その後の仕事に活かしています。デンマークなど海外企業のクライアントの仕事では、風力やパイプラインなどのクリーンエネルギーに刺激を受けました。ヴォルビックなどナチュラルミネラルウォーターの仕事では水と水源管理について考えさせられました。どんな仕事も先ずは分析からなので各種リサーチ中にいくつもの社会課題を見つけては、いつも制度政策、教育に行き着き、政党の政治大学に通ううち総代となったことがきっかけで総選挙に出馬することに。環境、教育、社会保障政策をメインに訴求した選挙話はさておき、(こういった実務経験から後に数々の選挙をサポートすることができました。何でも経験しておくものです)落選後は政策秘書資格を取得し国会議員事務所での政治政策の現場へ。

議員会館で政治政策の現場にいた頃

議員会館にいた頃、1番気になったのは意思決定の場に当事者の参画が少ないこと、若手が見当たらないこと、紙がやたら多く、リサイクルがなされていないことでした。党本部に出入りしていたのも、省庁に要望に行くのも、議員会館内も秘書以外はほぼ男性でロマンスグレーの方々が殆ど。リーマンショック後の失われた20年を取り戻そうと設置された日本再生会議の始動時、これからは科学技術、イノベーションだITだと言われていたものの、部会や委員会に若手ベンチャー(今はスタートアップと呼ばれます)の姿を見かけることはほぼありませんでした。(三木谷さんともう1人くらいでしょうか。さすがのロビイング力と思いました。当時比べられていたテレビ局を買おうとしたベンチャーCEOとの違いは実はそこでしょう)。議員会館そのものや別館の組織とそこで働く公務員の方々の業務内容の謎と疑問も多かったのですがここでは割愛するとして乾電池のリサイクルボックスをつくるよう議員会館の庶務課に掛け合い設置にこぎつけることができ、この小さな成功体験が国の政策に対する心のハードルを下げました。ないものはつくれば良いのです。
議員会館では永田町と霞ヶ関官僚との距離もかなり感じました。上下関係があり過ぎるのです。ノーパンしゃぶしゃぶ報道やカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書や堺屋太一氏の官僚亡国論の影響を受けていた私は当初、官僚には良いイメージがなく、天下りや談合など悪いイメージしか無かったのですが、話すと同じ志またはそれ以上の愛国心を官僚に感じることが多く、報道や本の中と現場とのギャップをかなり感じました。終電時間までの残業帰りに霞ヶ関を見ると電気が消えている日はなく、飲み会後には職場に戻る彼ら。しかもどこか楽しそう。広告代理店時代、深夜残業帰りはビルの下に並んだタクシーに乗って帰宅していた頃を思い出しながら帰途についていました。一見ブラックかもしれませんが、昼夜を共にできるほどの仕事と仕事仲間に巡り会えるのは実は幸せなことだとも思うのです。少なくとも霞ヶ関にいる友人や先輩はいかに国を良くするかと言う確固とした信念と使命感を持ち真摯に取り組んでいたので、誇りを持って仕事をする尊ささえ感じていました。彼らの中には政治家志望の方々もわりといて、相談を受けたらご要望に合ったライトパーソンにおつなぎするなどしています。

官民での議論の場をつくりたい

そんな中、ギリシャ危機、戦後初の政権交代が勃発。地球の裏側の小さな国の経済の影響を世界が受けているのを見て、タイバーツの頃とはまるで違う、情報化によるグローバル化により世界はどんどんボーダレス化していることに気付き、今後はあらゆるところでボーダレス化が進む確信がありました。パブリックセクターとプライベートセクターも例外ではありません。当政策座談会を立ち上げた2009年は新政権への期待とは裏腹に脱官僚が叫ばれ、政権の1番いい時に財政改革に手をつけず、団体はと言うと医師会歯科医師会も鞍替え…となるとこの先、歳入が歳出を上回るチャンスはしばらく、またはもうないかもしれない。となるとパブリックセクターのサービスをプライベートが担う、または官民協働を促すためには何ができるのか。。。ちょうど城山三郎氏の官僚たちの夏に号泣していたのもあり、先ずは日経ビジネスオンラインでの官僚インタビュー連載で広くその志を伝える取り組みを始めました。さらに世代と官民産学のセクター間を超えてフラットに心ゆくまで議論、政策に活かしたいと始めたのが政策座談会です。分科会として企業力向上プロジェクトも発足し、党本部で見かけないスタートアップ、ベンチャー企業のイノベーションが社会実装のためルールメイキングに参画できる機会を創出。結果的に参加者間の様々な協働・共創を後押しし、政策反映(最近はルールメイキングと呼ばれます)、政治リテラシーの向上につながって来ています。当初はその先に日本再生(日本再生会議発足時)があると考えこれまで実践して参りましたが、これはまだまだ先のようです。
官民では議論が弾む座談会ですが、いつも闊達な役人の方も不思議と国会議員との座談会では貝になりがち。。人によりますが、まだまだ永田町と霞ヶ関の距離はあるものの、10年前よりは近くなってきている空気感があります。それは政治と若年層も同じで、20年前に比べ最近は学生も政治とリアルに関わる機会やGov-techも出てきて政治に関心を持つ人が増え、官民連携、女性の活躍も目に見えて躍進し、政治政策がひと頃よりは身近になって来て嬉しく思います。

同じ想いを抱くみなさんと次のステップへ。世界一の超高齢国家、日本の未来にフォーカスします。

かれこれ12年ほどボランタリーで継続できているのは、国や社会を良くしたいとの同じ想いを持つスタッフのみなさんのおかげです。幸い人に恵まれ、会を重ねるごとに自然とお手伝いくださる方々が現れ、今ではスタッフとして毎回手伝ってくださるようになりました。コアメンバーとしていつもサポートしてくださるみなさんには感謝しかありません。参加してくださる友人知人のみなさんからのお礼メールも励みになっています。友人がお連れくださる方々とも親交が生まれ、さらにそのお友達、と輪が広がり、いつもは50名以内限定のラウンドテーブル形式がほとんどですが、200〜300名のイベントの時もあり、その都度スピーカーのみなさま、スタッフのみなさまに支えて頂いて来ました。
社会課題の多様化、複雑化を鑑み、今後は世界一の超高齢社会と言う人類未踏の社会を見据え、前列のないその社会が、暮らしがどうあるべきか、予想される課題や既成概念と向き合い、行動して参ります。高齢化は世界的課題でもあるので国内のみでの枠組みではなく世界の知と志の共有、融合とそこから生まれる新たなビジョンや切り口、政策、イノベーションを促して行けると嬉しいです。
振り返ると、全てが人、仕事との出会いから始まり、今につながって来ました。スピーカーとして、またブレーンとして参画してくれてた友人をがんで亡くすこともありました。今後もこれまでのつながりと想いを大切に、周囲のご縁ある方々をつなぎ、お世話になったみなさまに何か提供、というより何か一緒に掴んで頂けたらと思います。(ご要望に応じアドボカシーや政策調整をさせて頂きますが、わが国のためになることのみにさせて頂いております。)

佐藤ゆみ 拝